属性攻撃の日記

みなさんの好きな属性はなんですか

殺人が違法なのは悪人に好都合である

現代社会で殺人は重大な犯罪、違法行為だ。

これは一見すると善人の身の安全を守り、平和な社会秩序を維持するための法に見える。

 

だが私は最近ふと考えた。

殺人が違法なのは、むしろ悪人に都合が良いのではないか?

 

 

善人を殺すのは悪だが、悪人を殺すのは善

これがまず私の前提の考えとしてある。

私は悪いやつなら殺していい、いやむしろ殺すべきだとさえ思う。

 

悪い人間がいるからこの世はこんなにも辛く苦しく理不尽なのであろう。

悪い人間がいなくなればいいのに...いつもそう思っている。

 

以下に述べる私の主張では、

善人を殺すのは合法非合法問わず悪である。

悪人を殺すのは合法非合法問わず善である。

として扱っている。

それを踏まえて読んでいただきたい。

 

 

善人と悪人、そして6種類の人間

まずこの議論をするにあたって善人と悪人、

そしてそれをさらに細分化した6種類の人間を仮定してみる。

 

善人:悪ではない人。基本的に人を殺さない。殺すとしても対象は悪人のみ。

悪人:悪い人。人を殺す者もいるし、その対象には善人も含まれる。

 

そして善人と悪人を細分化してみる。

 

善人

①殺人が合法でも違法でも、決して人を殺さない善人。

②殺人が違法なら人を殺さないが、殺人が合法なら悪人を殺す善人。

③殺人が違法でも、悪人を殺す善人。

 

悪人

④殺人が合法でも違法でも、決して人を殺さない悪人。

⑤殺人が違法なら人を殺さないが、殺人が合法なら善人も含め人を殺す悪人。

⑥殺人が違法でも、善人も含め人を殺す悪人。

 

以上のような6種類の人間を仮定してみた。

これを踏まえ次の話に移ろう。

 

 

殺人が合法になった場合の世界

その世界において行動が変わるのは

②殺人が違法なら人を殺さないが、殺人が合法なら悪人を殺す善人。

⑤殺人が違法なら人を殺さないが、殺人が合法なら善人も含め人を殺す悪人。

の二種類である。

 

まず②が悪人のみを殺してくれるようになる。

これは素晴らしいことだ。

悪人は排除されるべきであるが、現代社会では「殺人が違法である」という法に守られて排除されない。

たしかに法を犯せば法によって裁かれるし、それで十分な場合も多い。

だがあまりに軽い裁きしか受けない悪人もいる。

裁きを逃れる悪人もいる。

法で裁くのが難しい悪人もいる。

そうした悪人を排除する機構が現代社会には備わっていない。

殺人が合法化されれば、より悪の排除は正しく行われるようになるだろう。

 

次に⑤が善人を殺すようになることについて。

これは殺人が合法になった場合起こる負の影響であろう。

しかし⑤のようなタイプは、何かしら十分なメリットがなければ人を殺さないであろう。

そう考えると仮に殺人が合法化されたとしても、人殺しを行うのは少数のはずだ。

また、②が悪人を殺すようになった社会においては、殺人を行うのはむしろ殺人が違法だったころよりもリスクが高いと考えられる。

殺人が合法であっても、それは決して、誰も人の死の原因を調べないというわけではない。

殺人がバレないというわけでもない。

必ず善人によって悪人は追い詰められる。

そして善人を殺した報いで最後は殺されることになる。

よって殺人合法化によって⑤が善人を殺すという負の影響は極めて小さいものと考えられる。

 

そう考えると殺人合法化によって殺されるようになるのはほぼ悪人だけだと言える。

そして逆説的に、殺人が違法な現代社会は悪人有利の社会だと言える。

 

 

良くなる一方の世界がくる

結局のところ殺人が重大な違法行為である現代社会では、

殺人はデメリットが大きすぎるため、余程のことがない限り何をしても殺されないのだ。

だから悪い人間がたくさんいる。

 

実際、つい最近に悪の度が過ぎて殺された安倍晋三氏もいるが、

彼も殺されはしないとタカをくくっていたのだろう。

悪によって人生を奪われ、失うものの無くなった、

無敵の人となった善人によって殺されることになったが。

 

殺人が合法になり、悪人が殺される社会になれば、そのような者は即排除される。

そして新しい悪人の発生も減っていくだろう。

みんな悪いことをして、人に憎まれたり恨まれたりして、殺されるのを恐れるからだ。

 

みんなもっと人を思いやるようにもなるはずだ。

人を思いやる者が増えれば、それもまた悪の抑制につながる。

また悪がいないということは公正ということだ。

公正な社会は、健全な人間を育むだろう。

 

どんな悪人だって最初から悪い心に染まっていたわけではないと思う。

様々な要因から影響を受けて悪になったのだ。

人に蔑ろにされた、酷いことをされた。

自分は真面目に生きてるのにあいつは悪いことして生きてる。

そんな思いが「俺だって悪になってやろう」という思いを生むこともある。

 

そしてどんな善人だって悪人になる可能性はあるのだ。

でも人に思いやられ、公正な社会で毎日を過ごせれば悪の心を抱くことは減るはずだ。

悪人が殺される社会においては善人のみならず、

「悪人になるかもしれなかった者」も救うことができる。

 

 

 

以上。

殺人が合法化された世界を見てみたいものである。