人間に自由意志は無い。
これが私の持論である。
自由意志が無いことを裏付ける私なりの理論をまとめる。
私は二つの理論を持っている。
一つ目の理論:人は物質
まず人間の肉体は全て物質のみでできている。
それは一般的に人間の意思を司っているとされる「脳」も同様である。
そして物質は一定の化学や物理の法則に従ってしか動かない。
人間の脳も物質のみでできているのだから、一定の法則に従ってしか動かない。
よって人間に自由意志は無い。
これは本当にこれでおしまい。
でもこれではつまらないし直感的でもない。
もっと直感的に、自由意志が無いことを、次の理論で証明しよう。
二つ目の理論:人の意志は100%束縛されている
まず自由意志とはなんだろうか?
「自由」とは何にも縛られず、好きなようにやれるという意味だと思う。
よって自由意志とは何にも縛られず、好きなように思考できる意志のことだ。
だがそんな意志は100%絶対に存在しないのである。
いくつか例をあげよう。
考えてみてほしい。
①お腹が空いたからご飯を食べよう。
②眠くなったから寝よう。
③学校のテストで良い点を取りたいから勉強しよう。
④お金が必要だから働こう。
⑤困っている人がいるから助けよう。
⑥面白い映画を観て感動した。
⑦祖母が死に、葬式で泣いた
⑧殴られて腹が立ち、殴り返した。
⑨スリルを味わうためにコンビニで窃盗をした。
⑩健康のためにランニングを始めた。
これらは「何にも縛られず、好きなように」思考していると言えるだろうか?
言えない。
以下それぞれの思考を束縛している「理由」や「原因」を挙げていこう。
突き詰めればもっとあるが、長くなるので少しだけ。
①空腹という生理現象、人間の本能、人間の肉体、食料確保が可能な状況
②眠気や疲労という生理現象、人間の本能、人間の肉体、睡眠が可能な状況
③テストがあるという状況、勉強することが可能な状況、学校に通っているという状況
④生活に必要な物の入手に金が必要という状況、働かないと金が無いという状況。
⑤困っている人がいること、それを発見したこと、自身の良心。
⑥面白い映画の存在、その存在を知っていること、目が見えること、耳が聞こえること
⑦祖母の死、祖母と良好な関係だったこと、葬式に参加できたこと
⑧殴られたこと、殴り返せる状況だったこと
⑨退屈していたこと、コンビニがあったこと、道徳観念が養われていなかったこと
⑩運動によって健康を得られる人間の肉体、ランニングが可能な状況
など。
このように人間の思考は徹頭徹尾、100%「理由」や「原因」による束縛を受けている。
そしてそれらの「理由」や「原因」の発生にもまた必ず「理由」や「原因」がある。
そこに人間の「自由な」意志が介入する余地は無いのである。
よって人間に自由意志は無い。
自由意志が無いならなんなんだという話
人間社会は自由意志の存在を前提として運営されている。
それは当然のことで、自由意志は無いよ派の私もそれでいいと思っている。
自由意志が無いとするのは、「責任」が無いということと本質的に同じだ。
人間の全ての意志は「理由・原因」によって定められたものであり、本人の自由が介入する余地はないからだ。
だが当然、健全な社会運営のためには「責任」という神話は必要である。
果たすべき役割を果たさない者は得られる恩恵も少なくしなければ不公平である。
また、悪人は排除しなけば平和は崩壊するだろう。
そんな世の中で「自由意志は無い」と考えることは無意味に思える。
だが私は「自由意志は無い」と考えることには「救い」として意義があると思う。
どうしても頑張れない、どうしても真面目になれない、どうしても悪の道しか選べない。
そんな人間社会でゴミ扱いされる、ハグレ者たちがいる。
ハグレでない「幸運な真人間」であっても小さな後悔、大きな後悔を抱えている。
そんな悩める者たちがいる。
そんな人間にとって「自由意志が無い」というのは「救い」になるのではないか?
私自身もどちらか言えばハグレ者だし、あの時ああすれば...と後悔することもある。
だが自分の人生について悩んだとき「自由意志は無いんだから仕方ないさ」「最初から決まってたこと」と考えると、ちょっと気持ちが楽になる。
決まってたことなら仕方がないであろう。
また「自分のこの先の人生も全て決まっている」と考えるとけっこう前向きになれる。
何をしてもそれは全部そうなると決まってたのだ。
やりたくないことはやらない、好きなことしちゃおう。そうなると決まってるし。
でもやっぱ真面目にやりたい、頑張りたい、と思う時はそれも決まってるから頑張ろう。
人間に自由意志は無い。
ゆえに人生は後も先も初めから全部決まってる。
そう考えることで、客観的な評価はおいといて、自分の心は前向きになれると思う。
まあそう考えるかどうかすらも、初めから全部決まってることではあるのだが。
以上。
この記事の執筆に筆者の自由意志は一切介入しておりません。